不動寺について

沿革

昭和39年12月10日、福岡県遠賀郡岡垣町内の有志者が結成した”筑紫不動会”が千葉県成田市の大本山成田山新勝寺より御分躰を当不動寺に勧請しました。

御分躰の奉迎に当たっては、九州各県および中国四国地方の信者参列者2,800人(稚児700人を含む)の大行列が古式豊かに行われました。

のちに”筑紫不動会”は宗教法人となり、現在の成田山不動寺となりました。

広い敷地面積

境内地は岡垣町の地元の方々により無償提供された2万5千坪以上の面積があり、西側には湯川山が聳え、南側はそれに連なる西館山から柿山等の山々が広がります。

東側から北側にかけては遠賀郡や隣接の北九州市、玄海国定公園の名勝三里松原と響灘の織りなす絶景、彼方には白島、山口県などを眺望出来ます。標高約200メートルからの四季折々の風景は、一目千両心身の爽快を覚え、信仰の霊場としてはもちろん、また観光地としても西日本有数の景勝と稱されます。

本尊不動明王

大本山成田山新勝寺の国宝不動明王像は、嵯峨天皇の勅願によって弘法大師空海が一刀三礼して、敬刻開眼された現世祈祷、済世利人の不動明王像であり、平将門の乱の際には朱雀天皇の密勅で将門調伏護摩の本尊とされたことでも有名であります。当山の本尊不動明王は、その御分躰であり、当山僧侶による朝暮の勤行が修され、日々参拝の方々が絶えません。

水子地蔵

昭和45年、信者の方からの水子供養を求められる声が多くなり、奥の院のかたわらに建立致しました。現在約700体の水子地蔵を安置しております。水子地蔵安置者以外も多くの参拝があり、日々お供えの香煙が絶えることはありません。

稲荷

京都市東山区の伏見稲荷大社より、正一位出世稲荷大明神を勧請致しました。

堂宇は篤信者の支援により昭和43年に完成致しましたが、老朽化の為、篤信者の奉納により平成11年6月に新たに再建されました。

金剛橋

平成26年10月に、旧本堂の前から本堂に渡る橋を建立致しました。この橋の建立以前は、本堂正面の階段しか参拝の方法がなかったので、お身体の不自由な方や、ご高齢の方は参拝に苦労されておられました。そこで、不動寺開創五十周年の記念事業として、橋の建立が提案され多くの篤信者様のお力添えの元、完成に至りました。

この橋は単にバリアフリー化の意味だけではなく、聖域である本堂への入口として、橋を渡ることで本尊様並びに仏様のご加護を得られる、功徳を積む積善橋でもあります。金剛橋は、真言密教の金剛界曼荼羅に説かれる三十七尊の仏様に由来し、三十七の仏様それぞれを仏様を現す梵字(種子しゅじ)が彫られており、皆様が渡られる橋板の下にも梵字が書かれた紙が混入されております。皆様も橋をご利用の際は、仏様のお力を体感されて下さい。また、階段利用が困難な方は、ご遠慮無く旧本堂前駐車場を利用して橋をお渡り下さい。